006「スケジューラ不要論」
最近はパソコンも普及し、今まで手作業だった仕事も電子化されるようになった。こうなると、個人のスケジュールもパソコンを利用して、管理したいと思うのもごく自然な考えかもしれない。でもそれにはかなりのデメリットが付きまとう。
スケジューラの欠点は、パソコンが周辺になければいけないということである。どんなに便利であっても、いざというときにスケジュール確認ができなければ、システム手帳や机上カレンダーよりも始末が悪い。スケジューラはソフトの起動に時間が掛かれば、操作に手間も掛かり、またシステム手帳のように、応用を利かした使い方が出来ないなど、不便なことが多い。今はまだシステム手帳の方が使いやすいだろう。
-
【クリエイティブ・メモ術】では、電子手帳の特徴として、データが豊富に入るという長所がある反面、操作が面倒で、書き込みに時間が掛かり、なんでもないことのメモがしにくい(つまり、柔軟性がない)ことを挙げている。これは、そっくりそのままスケジューラにも当てはまる。更に同書では、「パソコンのキー操作を楽しいと感じない人、面倒だと思う人は、あまり使うべきではない。こんな意味のないところからくるストレスが、未来の仕事への意欲をそぎ、疲れとなって蓄積していく。そのデメリットは計りしれない」と述べている。
-
最初、システム手帳を使っていた私は、パソコンにスケジューラがインストールされていたので、そちらを利用していたが、どうも応用した使い方が出来ないので、自分でスケジューラを1年掛かりで開発した。でも、打ち合わせの場で次の日程を決める際に、パソコンが手元にないと不便だと分かり、結局システム手帳に戻ってしまった。【山崎武也の「超」仕事法】に、「自分のスケジュールは自分で管理する。そのためには、いつでもどこでも自分の予定がわかるようにしておく必要がある」とあるように、すぐに予定が分かるということが、大前提でなくてはいけないのだ。
-
ある部長は、電子メール(グループウェア)を全国展開する際、ある人に、「電子メールの他に、スケジュール機能も盛り込んでは?」と質問されたとき、「そんな機能を付けたところで、最初しか使わないのが目に見えている。そんなのは不要だ」とおっしゃったが、まさしくその通りであると思う。
-
現段階ではスケジューラは不要だが、将来的に不要だとは思っていない。携帯電話のようにパソコンも携帯化できて、もう少しシステム手帳に近い感覚で使えるスケジューラが登場すれば、そのときに時代は変わると思う。
-
スケジューラを部署単位で実現させるためには、トップダウンによる指示が必要である。トップが使えばその部下も使わざるを得ないからだ。
-
今回はスケジューラ不要論を唱えたが、第2集ではスケジューラ重要論を唱えたい。矛盾しているようにみえるかもしれないが、環境によって全く効果のない場合もあれば、使い方しだいで重要性の増す場合もあるのだ。