003「積ん読も読書のうち」
読書は、最高の勉強方法である。裏を返せば、読書の数であなたの知識が決まるといっても過言ではない。
では、テレビではどうかというと、テレビは一方的なペースで放送する為、録画して何度も見直さないと、なかなかモノにはできない。しかし、読書には自分のペースで読むことができるのだ。だが本を買っても、いつ読む機会があるのだろう、と悩んでいる人達がいるのも事実である。
仮に本屋に行き、本を1冊買ったとしよう。だが、その本が必ずしもその日に必要になるものとは限らない。いつか必要性が迫ったときの為に、読むものと割り切ってはどうだろう?。書物を読まずに積んでおくことを「つんどく積ん読」というが、これも読書の一つなのだ。
-
私は1996年に、約150冊余りの本を買ったが、その内約40冊は、さっと目を通しただけで本棚に積まれている。全く読むこともないかもしれないし、あるときにふと読むかもしれない。ただ、自分にとって必要な本であることは疑っていない。
-
【明日を生きる言葉】(H.ジャクソン・ブラウン、Jr.:著、北方謙三:監、中公新書)には、「Buy great books even if you never read them.(読まないとしても、すばらしい本を買うこと)」と記され、【「考える力」をつける本】(轡田隆史:著、三笠書房)にも、「読書とは、本を買うことである。買ってしまえばこっちのもの、いつか必ずページを開く。買って積んでおくだけの、俗にいう、「ツン読」も読書のうちなのである」と、同様のことが記されている。
-
テレビでは、なかなか知識としては身につかないことを簡単に説明したが、詳しくはグーズベリー随想録の第2集にて説明することにする。
-
【山崎武也の「超」仕事法】(山崎武也:著、三笠書房)に、「読むという行為は、知的活動の基盤となるものである」「本には知的刺激を与える要素がある。仕事の基礎に読書がある点を忘れてはならない」という一文があり、【知的生産のための入門読書の技術】(「知的生産の技術」研究会:編、大和出版)には、「できる人も才能と運だけで、ここまできたわけではない。《中略》この幅広い人間性は、読書によって得られることが多い」となっており、読書の必要性をうた謳っている。しかし、知識が増大しても、教養もそれに比例するとは限らない。このことについては、第2集以降のグーズベリー随想録にて説明していきたい。
-
ただ、積ん読にも次に取り上げる失敗の可能性がある。一つは、「同じ本を2冊買ってしまう」という失敗で、私自身だけでなく、ある先輩も同様の経験を語っている。そしてもう一つは、「『いつかの必要性』にはくれぐれも注意しないと、お金がもちません」と、私の同僚が警句を発していることだ。確かに私が1997年に、本に費やした金額は、軽く16万円を超えていた。これだけあれば、電気代・電話料金は軽くまかなえたかと思うと、複雑な気持ちである。